ASDかつADHDっぽい夫になぜ惹かれたのか

一緒にいると孤独を感じ、「どうしてこの人と結婚したんだっけ」と考えることがあります。

過去にあった色々なことを思い起こすと、「どうしてあのときに別れなかったんだろう」と思ったりします。

でも、若い頃の私は、夫がこんな人だったからこそ惹かれたんです。

今回は、結婚前の私が夫のどんなところに「いいな」と感じていたかを振り返りつつ、後々それが私を悩ませることにもなった理由を書いていきます。

デート中にタイヤがパンクしても冷静沈着

まだ付き合い始めの頃のことで、「あ、この人とならうまくやっていけそう」と感じられて、すごく印象に残っているエピソードです。

デートで街中を走行中に車の様子がおかしくなり、路肩に停めて確認するとどうやらパンク…。
こういうときは誰でも動揺し、それがどんな態度に現れるかによって、その人の個性が見えてくるものです。

当時、私の周りの男性だと「なんだよ、もう!」と悪態をついたり、「ウソだろ最悪…」と過度に落ち込んだりとマイナスの感情を見せる人が多かったのですが、夫はマイナスでもプラスでもないという感じで、ものすごく淡々とトラブルの処理をしたんです。

近くにあるガソリンスタンドを調べ、その距離ならこのままで走れそうと判断し、冷静に車を移動させてタイヤ交換を依頼しました。

これが、当時の私にはすごく好印象でした。

「誰のせいでもないパンクに怒ったり落ち込んだりして彼女の気分まで乱すよりも、修理するための行動に前向きに取り組んだ方がお互いがハッピーになれる」という考え方を彼がしているのだと、勝手に、都合よく解釈したんです。

でも、これはあくまで私の論理であって、今考えれば夫の心の中は全然違った可能性が高いです。

というのも、パンクに限らず、いつもと違うことが起きても夫がそれに対して感想を言ったり、自分の感情を表すことってほとんどないんです。

それは「感情がない」というよりは
・自分が感じていることを自分で把握して表現するのが難しい
・起きたことに対する驚きや不安で頭が真っ白になっている

ということが多いんじゃないかな、と思います。

パンクのときも実は内面的にはパニックで、「彼女とのデートを続けるには、とにかくタイヤを交換しなきゃ」ということに必死で、なにか感想を述べる余裕すらなかった。それが表面的には「冷静沈着で前向き」に見えて、私はすっかり誤解してしまった。これが今の解釈です。

群れない

以前に書いたとおり、私たちは社会人になってからの友人グループの中で出会い、そのみんなで飲みに行ったりすることもありました。でも、基本的には大勢でワイワイするより、本当に気の合う2〜3人で行動する方が好き、ひとりでの行動も楽しめる人、というのが当時の夫の印象でした。

この点は私も全く一緒で、気が合うな〜と感じたのです。

もし夫がものすごく社交的な人で、週末ごとにお客さんが来たり、どこかに呼ばれたりするような状態だったら、私は疲れてやっていけないと思います。

だから「群れることを好まない」というのはとても良くて、実際、結婚してしばらくは、週末はふたりでどこかに出かけるか、お互いにやりたいことがあれば別々に行動するか、という感じで心地よく過ごしていました。

ただ、夫の片付けられなさがここ数年で加速度的にひどくなったのと同様、孤独を好む性質も最近エスカレートしていると感じます。ASDのタイプで言えば「受動型」から「孤立型」に変化してきた、という感じです。

なので、以前であれば気が進まないながらも参加していた友人同士の集まりも行かない、結婚パーティのようなおめでたい場でさえ「疲れたから、外にいるわ」と出ていってしまうということが増えてきました。そして妻である私と行動することも本当に必要最低限になりました。

私は「気の合う少数の人」と深く関わるのが好きで、夫はその一人だと思っていたのに、そうではなくなってしまったことに寂しさを感じます。

意味のないレディファーストをしない

男性の中には、女性のためにドアを開けてあげ、先に通らせてあげるというレディファーストを欠かさない人がいます。そういう人は、街中を歩いていれば自分が車道側を歩くし、女性に荷物があれば持とうとしてくれる。移動時間が長くなれば、途中で「疲れてない?」と聞いてくれたりもします。

こういうの、本当に必要としているときは嬉しいですが、あまりに杓子定規にやられると「ウザい」「自分でできるから、さっさと行こうよ」と思ってしまいます。

その点、夫はこういう気遣いを一切しません。

付き合っていた頃の私は、これをものすごく良いように解釈していました。「彼は不必要なことはしないという合理的な人」で、「彼は私のことを(あまり手助けが必要ない)強くて賢い女性だと評価してくれている」と思っていたのです。

ただ、両手に荷物を持っているのにドアを開けてさえくれないとか、「この人、ちょっと気が利かないな」と思うことはありました。でも、恋愛中はプラス面ばかり見てしまうもので、あまり気にしていなかったんですよね。

実は「相手が助けを必要としているかどうか」なんて考えてないのかも、とやっと気づいたのが、特性を感じるエピソード(単身赴任中)に書いたできごとのときでした。

知識豊富でロジカル?

これはもう完全に、私のバカな幻想だったな〜と思うのですが、彼が理系の大学院卒で歴史なんかも好きだったので、「知識が豊富で、その知識をもとにロジカルに考えられる人」だと思ってました。

彼の属性を見て「賢いに違いない」と思い込んだ私が浅はかなのですが、その思い込みを助長したのが、彼の「即否定する」という癖です。

例えば、私が「この商品て、環境にいいんだって」とか「これ、身体にいいらしいよ」みたいなことを言うと、すぐに「そんなの意味ない」と否定します。

私はこれを、「ロジックに基づいた否定」だと受け取っていました。

環境に良い商品の例だと、「これはCO2排出量が少ない素材で作られているって書いてあるけど、この商品だけで抑えられるCO2排出量なんて微々たるものだし、そもそもこの商品は輸入品だから輸送のためのCO2排出量が多いはず。よって、この商品を買うことが環境に良いということにはならない」みたいなことを、私の知らない科学的な知識も使って瞬時に考えて、「意味ない」と言っているんだと思っていたんです。

でも、特に深く考えずに否定してるんじゃない? ということに、最近気づきました。

彼が私の知らないことをたくさん知っているというのは間違いではなく、私が理数系の知識や歴史の授業で習うようなことはよく覚えています。でも、世の中の常識とされるようなことは意外と知らなかったり、知っている知識を組み合わせて論理的に考えるのも実は苦手なのかも…ということは長年の結婚生活の中で少しずつ見えてきたんです。

よく知りもしないのになぜ否定するのかというと、自分にとって新しいことを取り入れるのが嫌、という感覚があって、だから知らないものはとりあえず否定から入っちゃうんじゃないかな、と予想しています。

否定されたときに「え、どうして? 理由を教えて」としつこく食い下がれば、そこに立派なロジックなどないことが分かったのかもしれませんが、あまりにもキッパリと断定するので、私の「バカだと思われたくない」という見栄もあって聞けなかったんですよね…。

私が好きになったのは彼の「表面」だった?

こうやって振り返ってみると、私が「好ましい」と思った彼の特徴は「表面」に見えていた部分です。そして、「表面」がそうなる理由について、私は勝手に正反対の理由付けをして高評価をしていたようです。

だからこそ、結婚して一緒にいる時間が長くなるほど「こんなはずではないのに」という矛盾に苦しめられることになったんですね…。

お互いに一人の時間を楽しめるとか、ウザい気遣いをしてこないとか、「表面」だけであっても助かるという側面は大きかったから、結婚したことを100%後悔しているわけではありません。

だけど、「期待したものが実はなかった」ということへの虚しさに、時々やりきれない気分になります。

勝手に思い込んで勝手に期待したのは自分。夫だって私を騙して結婚してやろうなんてことは微塵も思っていないはずだから、責められないんですけどね。

だからこそ、発達障害の特性というものがもっと知られるようになって、ある人の「表面」から推測できる「中身」は、実は全然違うのかもしれないということを、もっと多くの人が知った方がいいんじゃないかな、と思うのです。

※夫は、私から見て発達障害の特性に当てはまるものを多く持っているというだけで、医師の診断を受けたわけではありません。義母は特に疑問を持たずに育ててきたようですし、普通に就職して働いているので、検査しても診断は下りないかもしれません。

私は、今のところ夫が「発達障害かどうか」はあまり気にしていません。ただ、発達障害のことを知ってから、それに特性に近い個性や性質を持っている夫のことを以前よりは理解できるようになったと感じています。そんな私の視点で過去を振り返ったり、今現在の別居という形での夫婦のあり方の模索の様子をお伝えすることが、同じような悩みを抱いている方のお役に立てればと考えています。

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