夫の先延ばしグセ、義両親はどう対応していたんだろう

これを読んで、「まさに夫だ〜!」と思いました。
宿題(音読)に困っている高IQ×発達障害の子を持つ親がつらつら書く
「自分が興味を持てないことに対して、どう頑張っても取り組めない」みたいな子は多い。うちの子もこれ。あと切り替えが苦手。本人には慣性の法則が働いているようで、今やっている何かを延々と続けてしまい、方向転換が難しい。
これは、「音読」の宿題にどうしても取りかかれないお子さんのことを書かれているのですが、こういうところ、夫も同じ!
発達障害に理解のない親だったら、ガミガミ怒る人が多いんじゃないでしょうか(ましてや大人がこうだったら、妻はイライラするよ……)。
でもこれを書いた方はお子さんの特性を相当理解されていて、色々工夫しているし、それでもできない子をかなり受け止めているのがスゴイ。
できないことを、開き直ることもできない辛さ
うだうだを待ち続けたり、音読やろうね、と声かけするのも長引いてくるとお互いにしんどい。なので、ある程度で諦めて「できませんでした」と書いて提出させるようにしていた。が、これは本人にとってとても嫌だったようだ。「嫌ならやればいいのに、すぐに終わるのに」と思うが、その気はあるのに動けないというのが発達障害なのだろうな、と思う。本人には言わないように努めているが、「じゃあ、さっさとやれよ」とは言いたくなる。喉まで出かかってぐっとこらえる(笑)。
どうしてもできないんだけど、本人もできない(この場合だと宿題を提出しない)のが嫌。嫌ならやればいいのにと思うけれど、それでもできないのが発達障害。
夫もいろいろなことを放置して周りに迷惑をかけるのだけど、それで開き直っているわけではないみたい……ということが、わたしには最近になってわかってきました。
どうしても書いてもらわなきゃいけない書類など、「書いて! 今すぐ書いて!」としつこく言うとすごく不機嫌になるのだけど、それはしつこく言われるのが嫌だということと、やらなきゃいけないことはわかっているのにできない自分自身に嫌気がさしているのと、ごちゃまぜになった不機嫌なんじゃないかな〜と思うのです。

義両親はどうみていたのだろう
こういう「発達障害の子の親が書いたもの」を読むと、夫の両親のことを考えざるを得ません。
時代も時代だから、夫が子どもの頃はまだ「発達障害」という概念は一般的でなかったでしょう。
以前、「夫は大人の発達障害だと思う」と義母に伝え、大人の発達障害についての本を一冊渡しました。義母はその本を読んではくれたけれど、「あの子は病気なんかじゃない。ここに書かれていることに少し当てはまることもあるかもしれないけど、それは個性にすぎない」と言い、発達障害だということは認めませんでした。
別に「個性」でもいいです。でもその個性に、私が大いに苦しめられているということを、義母には理解してほしかったんですよね。結局、「うちのお父さん(義父のこと)もそういうところあったわよ」なんて言われ、まさにカサンドラ状態にさせられたのですが…。
子どもの頃、相当苦労したんじゃないかと思うけど、どうしていたのかなぁ。
義母は相当な世話焼きなので、手取り足取り、なだめて透かして一緒にやっていたのかなぁ。
もし、義父母が上の記事を書いた方みたいに夫の特性を理解し、なんとか自分でやるべきことをやる力を身に着けられるように工夫していたら、夫は違う成長の仕方をしただろうかと考えます。考えたって仕方ないことなんですけどね…。