私はカサンドラ症候群?
ブログのタイトルに「カサンドラ」と入れてはいますが、自分自身がカサンドラ症候群なのかというと、はっきりそうだと言い切る自信はありません。
カサンドラ症候群とは

Wikipediaによると、カサンドラ症候群は次の3つの要素から成る、とされています。
1.パートナーの少なくとも一人が、低い心の知能指数/共感指数、あるいはアレキシサイミア(失感情症)
カサンドラ症候群 – Wikipedia
2.人間関係の相互作用や経験を害する
3.精神的および身体的(またはどちらか一方)なマイナスの症状
私の場合、1については夫が大人の発達障害の疑いが濃厚で、特にASD的な「人の気持を想像するのが苦手」「感情的な交流が苦手」という点で当てはまります。
2も、そのような夫との関係に不満足や不安を抱くことになったので、当てはまります。
3はどうかというと、病院にかかるような症状までは出てません。
ただ、同居していたときはしょっちゅう、今でも夫と連絡を取る必要があるのに取れないときなどには、1日中夫のことについて考え続けたり、ネットで大人の発達障害の夫婦について検索するのを止められない中毒症状みたいなときがあり、とても心が健康とは言えない状態です。
それでも普通の生活を続けていられる状態を保っているのは、早いうちに野波ツナさんの『旦那さんはアスペルガー』シリーズに出会ったりして、「こんな状況になっているのは、決して自分のせいではない」ということを理解できたからかな、と思います。理解したところで状況は変わらないので、やっぱり辛いですが。

「カサンドラ」の由来
カサンドラ症候群の大きな要因に、パートナーの特性のほかにもうひとつ、「大変さを周りの人に理解されない」ということがあります。
「カサンドラ症候群」という名称の由来となっているのは、太陽神アポロンの呪いによって真実を告げても誰にも信じてもらえなくなったというトロイの王女「カサンドラ」の神話です。
「うちの夫がこんなふうで、私は辛い!」と訴えても、「男ってそんなもんじゃない?」とか「よくある夫婦のすれ違いでしょ」と受け取られたり、あるいは「旦那さん、そんなふうには全然見えないよ」と言われてしまったりして共感を得られないのです。
辛い状況でも、「そうなんだ! 苦労してるんだね」とか「知ってる、大人の発達障害って大変だよね」とか寄り添ってもらえれば、すごく救われるのですが、理解してもらえないと余計に孤独感を感じたり、「これを乗り越えられない自分が悪いのか」と自己否定に走ってしまったりするんです。
上手く説明できる気がしなくて、相談できなかった
私の場合、どう大変なのかを理解してもらえるように説明できる気がしなくて、そもそも誰にも相談できない期間が長かったです。説明が難しい理由は、Wikipediaにある以下の説明の通り。
実際、アスペルガー症候群との生活のエピソードの一つ一つを見れば「誰にでもあるようなこと」と言える。しかし、それがあらゆる形で一人の人に日々起こり続けるのがアスペルガー症候群である。
カサンドラ症候群 – Wikipedia
大変さの原因になっている具体的なエピソードのひとつひとつは、例えば「夫がものを置きっぱなしにして部屋が散らかる」とかのありふれた小さなことで、それをわざわざ説明するのも馬鹿らしいというか、恥ずかしいというか…。「なんだ、そんなこと?」と言われてしまいそうなんですよね。「そんなこと」が山のように積み重なって襲ってくるし、いくら「やめて」って言っても改善されないのが大変なところなんですが、説明しているうちに、自分がものすごく「些細なことを気にするヒステリックな人」に思えてきそう。
これが、DVとかモラハラとかではない、受動型ASDタイプのパートナーを持つカサンドラの苦しいところなんです。
あと、なんとか説明したところで、「よく話し合ってみれば」とか「あなたの気持ちを伝えてみれば」とか言われてしまうんだろうな、と話す前から想像してしまう。それができないから、追い詰められてるんだけど…。
私も昔は、喧嘩も覚悟で本音で話し合うっていうことができない夫婦関係なんて「ありえない」と思っていました。「できないなんて、あきらめないで」と言われちゃうんだろうな〜と思うと、相談する気にはなれませんでした。
それでも事態をなんとか改善したくて、地域の「発達障害者支援センター」に行って相談しました。
私一人で行ったので、夫が発達障害なのかどうかを専門家に判定してもらうことはできませんでしたが、「分かりますよ。そういう人っていますよね」と言ってもらえてホッとしました。
でも、そこで得られたのは「夫さんが片付けられるようにこういう工夫をしてみたら?」みたいな、あくまで発達障害の人への対処法のアドバイスで、私の辛さに寄り添ってくれるという感じはしませんでした。
義母に相談して傷が深まった
その後、身内の中で初めて相談したのが義母でした。
別居について、周囲には「夫の仕事の都合と子どもの学校の都合により」と言っているのですが、義両親には本当のことを伝えたほうがいいかな、と考えたんです。そうでないと、「早く一緒に暮らせるようになるといいね」とか「もっとしょっちゅう会いに行きなさい」とか言いまくられてしんどいだろうな、と思ったので…。
で、まずは義母に「実は別居をするつもりです」ということと、その理由に夫の問題ある行動があることを話し、「多分、夫さんは大人の発達障害だと思います」ということも伝えて参考になりそうな本を渡しました。
義母に相談したのは、義父も「相手の気持ちを想像するのが苦手」など夫に似たところがあり、それで苦労している義母が私の状況を理解してくれると見込んだからです。
私自身はあまり波長が合わないのですが、とても良い人ではあって、結婚当初から「私はナルミさんの味方よ。いつも応援していますよ」なんてことをしょっちゅうメールで送ってくる人でした。
義母は私の話をじっくり聞いてくれ、本も読んでくれましたが、結果としては私の気持ちに寄り添ってくれることはありませんでした。
本の内容について「息子に性格に当てはまるところもあると思うけど、病気というほどではない。個性の範疇だ」と言いました。
発達障害は「脳のしくみがちょっと違う」というものであって、病気ではないと伝えましたが、「障害」という言葉に強く拒否感を感じているようでした。
そして、「別居なんて言わないで、単身赴任だと言ってね」と言いました。別居を選択せざるを得ないほどに夫婦の間に問題があるという現実から、目を背けたわけです。
また、一度は「単身赴任なら仕方ない」と納得したように見えて、その後別居が始まるまでの間、「一人で暮らさなければいけない息子が可愛そうだと思わないのか」といったことをチクチクと言い続けるのでした。
結局、義母にとって大事なのは息子である夫で、「私はナルミさんの味方」と言っていたのは、私が夫の良い嫁であり、夫を支える存在であるという前提があってのことなのだったわけです。
今考えれば、夫の母親なんてそんなものと割り切れます。でも、当時はなんだか裏切られたようでショックだったし、「息子がかわいそう」という義母の態度に罪悪感を刺激され、しんどい日々でした。
心身にマイナス症状が出るところまではいかなかったものの、夫と義母の両者から自分の尊厳や感情を傷つけられていたという意味では、やっぱり私はカサンドラだった、と思うのです。
※夫は、私から見て発達障害の特性に当てはまるものを多く持っているというだけで、医師の診断を受けたわけではありません。義母は特に疑問を持たずに育ててきたようですし、普通に就職して働いているので、検査しても診断は下りないかもしれません。
私は、今のところ夫が「発達障害かどうか」はあまり気にしていません。ただ、発達障害のことを知ってから、それに特性に近い個性や性質を持っている夫のことを以前よりは理解できるようになったと感じています。そんな私の視点で過去を振り返ったり、今現在の別居という形での夫婦のあり方の模索の様子をお伝えすることが、同じような悩みを抱いている方のお役に立てればと考えています。