夫に大人の発達障害の本を渡してみたときのこと

夫は「大人の発達障害」というやつなんじゃないかと考えるようになってから数年間、夫にその考えを話すことはありませんでした。

「発達障害なんじゃない?」と言ったら、夫の自尊心を傷つけてしまうんじゃないかと思ったからです。

でも、初めてカサンドラの自助会に行った帰り、ふと「夫に大人の発達障害についての本を渡してみよう」と思い立ちました。

自助会では、夫に「発達障害なんじゃない?」と話したという人が結構いて、相手が自覚してくれて少しコミュニケーションがしやすくなったという人もいれば、「そんなことない」と否定されて終わったという人も。どちらにしても、「私はこう思っている」と伝えることは大事なんじゃないか、と感じました。

また、自助会で同じグループになった人が野波ツナさんの漫画『アスペルガーとカサンドラ』をパートナーに渡して読んでもらったという話はとてもヒントになりました。

私がいきなり「あなたは発達障害だと思う」と話し始めたら、夫はその時点で聞く耳をシャットアウトしてしまうと思うのです。でも、夫は本をよく読む人なので、本ならいったんは受け入れてくれるんじゃないかな、と希望が持てました。

発達障害者を非難するのでも持ち上げるのでもない中立的な本

野波ツナさんの漫画はとても読みやすいので、さっと目を通してもらいやすいという点では良いのですが、パートナーアキラさんの特性に困るツナさんの視点で書かれているため、アキラさん側の立場である夫が読んだら反発心が生まれそうです。

逆に発達障害の当事者の本だったら共感できるかな〜とも思ったのですが、私が読んだ吉濱ツトムさんの本は発達障害者の天才性を強調しすぎている感じがして、私の伝えたいこととは違いました。

そこで、私が「夫はまさにこれではないか!」と納得した『発達障害 生きづらさを抱える少数派の「種族」たち』を渡すことにしました。

本田秀夫さんという精神科医の先生が、長年子どもや大人の発達障害者を診てきた経験を元に書かれた本で、特に「ASDとADHDの併発」という状態の人の生きづらさについて、当事者じゃない人にとっても分かりやすく解説されています。

周りの人が困っているというエピソードも出てはきますが、どちらかというと発達障害を持つ本人の目線で「どうしてこういう事が起きてしまうのか」ということが書かれているので、夫も冷静に読んで共感できるのではないかと思ったんです。

2週間以上経っても反応なし

「ここに書かれていることが、あなたに当てはまるんじゃないかと思うから、読んでみて」と言って本を手渡しました。

夫は「うん」と言って本を手に取りましたが、私の前で読んでいる姿は見せず、その後2週間以上経ってもその本についてなにか言ってくることはありませんでした。

読んだけど何も言ってこないのか、読んでいないのか…。

どちらにしろ、私が本を渡したことについて彼はネガティブな受け止め方をしているな、と想像しました。

だから、「読んだ?」と聞くのもなかなか億劫で…。

読んでいないのだとしたら、「読んだ?」と聞くこと自体が彼にとっては「責められている」と感じさせ、逆効果になりそう。

読んだのなら当然ながら感想を聞きたいし、その上で「どうする?」ということを話したい。でも、子供の前でそういう話をするのは避けたいです。

考えた末、「あの本、読み始めた?」と聞きました。「読んだ?」より責めている感じが薄まるかと思って…(^^;

夫の返事は「うん」なのか「ううん」なのかよく分かりませんでした…。

夫、自分にとって都合の悪いこととか気がすすまないことについて聞かれたときは、すごーく小さな声でボソボソと答えるんです。

「えっ?」と何度も聞き返しても、同じように小さくボソボソと話すから結局どちらかわからないということが多々あります。何度も聞き返して嫌な雰囲気になるのが嫌だったので「読み終わったら教えてね」と言って終わりにしました。

「少し当てはまる」と言うものの

夫の方から「読んだ」という報告は結局なくて、3日後くらいに「読み終わった?」と聞いたら、読んだとのと。

「どうだった?」と聞くと「少しそうかもしれない、と思った」という言葉が返ってきました。

でも、診断を受ける気はなく、生活や仕事をやりやすくするといった工夫も特にやる気はないと。

こういうのも、私の方から質問してやっと引き出した答えです。このことについて話したくないんだな、というのが態度からよく伝わってきました。

改めて、「私はあなたの態度を寂しく感じている」と伝え、「私のことが嫌なの?」と聞いたら「居心地は良くない」という回答。何を聞いても、聞いたことについてストレートには返ってこない夫です…。

「居心地良くなるために、できることはある?」と聞くと、「別居したらいいんじゃない」と言うのです。

これは多分、以前に私が別居という選択肢を提示したからそう言っているのでしょう。夫が本心からそうしたいと思っているのかは謎です。前にも書いたけど、「したらいいんじゃない」とか「したほうがいいかもね」というのはずるい言い方ですよね。

「別居は一時的な問題の回避策でしかない。この先家族としてやって行くためには、お互い歩みよる必要があるんじゃない?」と言っても、「歩み寄る」つもりはないようで「それなら離婚したらいい」とまで言われました。

またもや「したらいい」です。投げやりで、夫が本気で考えた結果ではないと思われました。

「話し合いにならない」というのはこういうことなんですよね。

私は「少し考えさせて。何も変えるつもりはないみたいだけど、子どもを不安にさせるような態度は取らないでね」と言って、話を終えました。

※夫は、私から見て発達障害の特性に当てはまるものを多く持っているというだけで、医師の診断を受けたわけではありません。義母は特に疑問を持たずに育ててきたようですし、普通に就職して働いているので、検査しても診断は下りないかもしれません。

私は、今のところ夫が「発達障害かどうか」はあまり気にしていません。ただ、発達障害のことを知ってから、それに特性に近い個性や性質を持っている夫のことを以前よりは理解できるようになったと感じています。そんな私の視点で過去を振り返ったり、今現在の別居という形での夫婦のあり方の模索の様子をお伝えすることが、同じような悩みを抱いている方のお役に立てればと考えています。

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