カサンドラのASD化。自然な気遣いができなくなった

先日、関東でわりと大きめの地震がありましたね。

私のいる場所も少し揺れて、ニュースを見ると東京では電車が止まったりしていることがわかりました。

別居中の夫は東京に通勤しているし残業しがちなので、帰宅できずにいるかも……と考えました。

以前の私だったら、すぐに「大丈夫?」とLINEしたと思います。

でも、最近は夫になにか連絡を取ろうと思うたびに、立ち止まる自分がいます。

「大丈夫?」と問うときに伝わること

まず、「大丈夫?」という曖昧な問いが夫には通じない。

確かに、これって曖昧な質問なんです。「何について聞いてるの?」「何がどうだったら、大丈夫って言えるの?」みたいな…。

だけど、多くの人が家族や友人に「大丈夫?」と声をかけるとき、それは「◯◯は問題ないか?」という確認をしたいというよりは、「あなたのことを気にかけてるよ」とか「あなたが無事なら私も嬉しい」、「何か困ってたら力になるよ」という言外のメッセージを送っているのだと思うのです。

もしかして電車が止まったりして凹んでいるときに、ちょっと気持ちが落ち着くといいなと思って、まずは「大丈夫?」というメッセージを送る。

だけど、夫の場合はこういう「気持ち」は受け取れない。回答しなければいけない「問い合わせ」みたいなものがきた、と受け止めるのだと思います。

たとえ電車に閉じ込められたり、部屋にいて落下物で怪我をしていたりしていたとしても、別居中の妻がそれを知ったところでなにかできるわけでもないから、知らせる必要を感じない。

何も問題がなくても、心配している家族に無事を知らせる、という発想はない(他人の気持ちを想像するのが難しいASDの特性です)。

どっちにしろ、返事をしなければいけないことに面倒くささを感じるんだろうなぁ。

そんなふうに想像し、私は「大丈夫?」の一言を送るのをやめました。

ASD的な特性を知ると、自分もそれに合わせてしまう

朝になって、義父母のいるところも結構揺れたらしいとわかり、そちらにはメールで「お怪我はありませんでしたか?」と送りました。

義母はそういう気遣いのやり取りを(私の感覚では)過剰なくらいする人なので、嫁としては「気にかけてますよ」という態度を見せておかなければ、という義務感もあり…。

そのとき、義父母の安否確認をしながら、万が一夫が怪我していたりしたら、そのことを知らないのも問題だな〜と思い、やっぱり夫にも連絡することにしました。

これは、夫への気遣いではなく、私の保身ですよね。
妻として、夫の安否も把握できていないのか、と言われないための。

それで、「大丈夫?」という曖昧な質問ではなく「昨日の地震で、怪我をしたり、帰宅できなくて困ったりしなかった?」というメッセージを送りました(「帰るのが少し遅くなった」という素っ気ない返事がありました)。

気持ちではなく、事実をやりとりする。
自分がASD化しているな〜と感じます。

夫に対してだけなんですけどね。
夫のASD的な特性を知るにつけ、それまでに自分が自然にしていた共感や気遣いといったものが、自然には出せなくなって、どんどん夫に似たコミュニケーション方法を取るようになる。
これって「カサンドラあるある」みたいです。

ASD化しているのは表面だけ。気持ちがなくなったわけではない

これには2つの理由があって、ひとつは相手に気持ちを受け取ってもらえない寂しさを感じたくないから、ブレーキをかけるようになるということ。
もうひとつは、こちらの自然な気遣いの行為がASDな相手にとってはどうも負担らしいとわかり、それを軽減してあげたいと思うから。

表面的にはASD化していても、共感を求める気持ちや優しい気持ちが奥底にあるってことです。だから、「自分もASD化してスッキリ!」とはならず、やっぱり寂しいなぁと思っちゃうのがカサンドラなんですよね。

余談。共通の知り合いについての心配も理解されなかった

余談ですが、今回思い出したこと。

以前、夫と私の共通の知り合いがいる地域で豪雨災害があったことがありました。

夫の方が頻繁に連絡をとっている相手なので、私は「豪雨で◯◯(知人のいる地域名)は大丈夫だったかな?」とLINEしました。

返ってきたのは「場所によるみたい」という返事。

うん、まあ、そうだよね…。でも、知りたいのはそういうことじゃない。

はっきりと「■■さん」とか、その人のいる事務所の名前とかを挙げなかった私が悪かったよ……。

でもさぁ、私が◯◯について気にしているということは、知人の■■さんの安否を知りたいからなんだと、想像してくれてもいいのになぁ。
ASD的な特性をかなり理解したつもりになっていても、やっぱりこういうことを期待してはがっかりしてしまう。精進が足りません。

※夫は、私から見て発達障害の特性に当てはまるものを多く持っているというだけで、医師の診断を受けたわけではありません。義母は特に疑問を持たずに育ててきたようですし、普通に就職して働いているので、検査しても診断は下りないかもしれません。

私は、今のところ夫が「発達障害かどうか」はあまり気にしていません。ただ、発達障害のことを知ってから、それに特性に近い個性や性質を持っている夫のことを以前よりは理解できるようになったと感じています。そんな私の視点で過去を振り返ったり、今現在の別居という形での夫婦のあり方の模索の様子をお伝えすることが、同じような悩みを抱いている方のお役に立てればと考えています。

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